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推理?秋葉原殺人事件

恐いですねぇ、みんなが相手になってくれないんだもん、という理由により彼はインターネットへの書き込みでモチベーションを高めながら、みごとに目標を達成してしまったわけです。でも?

世の中に出る場合、ほとんど一人で出てきます。このごろは五つ子なんてあるようですが、そんな場合でもお互いを意識しているかどうか、おそらくかれらも分からないのではないでしょうか?

ぼくには1967年から数年海外で暮らす機会がありました。それまでの20+アルファ年間いつも身近に兄弟がいて、祖母が二人に祖父が一人、それに両親がそろっている中で生活していましたから、いったいこりゃなんじゃ!というのが正直な感想であり、食事の心配から着る物の洗濯まで全部自分がやる、やらないでいたら誰かがやってくれることはない、というキツイ気分を心に留めるまで2-3ヶ月かかってしまった記憶があります。

心理的に言うなら、秋葉原殺人事件の犯人は追い詰められていた、そういう気分になっていたものと考えるのが普通です。何でそれまでに周りの誰かが気づいてあげなかったのか、などというのはまったく犯人の周囲にいなかった人が言えることで、そもそもあまり言ってはいけないことの中に入るせりふだとぼくは考えます。

人が周囲に寄って来ない、それは本人に魅力がないからでありまして、それに尽きるのでは?じゃぁ魅力ってなによ!一般的に魅力的な人と表現されるところの魅力をぼくは言っていません。生まれが違い、育つ環境が違えば同じ気質を持っていても、結果には大変な違いが出る、そんなこたぁ皆さんご存知でしょうが、じっさいどのくらい違うのかをはかる物差しなんかありゃぁしないのです。

人が自分を避けている、そう感じるときがありました。急になんですが、子供のころ近所の仲間になかなか入れなくて母親に付き添ってもらい、お願いに行った記憶があります。この場合ぼくは彼ら=近所の子供に嫌われていたわけではなく、単に自分に意気地がないため「遊んでよ」、あるいは「仲間に入れてよ」あるいはもう一歩「それ面白そう、教えて!」みたいな素直な感情表現ができなかったためだと、今になれば理解できます。

昔から「子供は残酷なもの」ということになってます。それは、世の中のことを知る媒介に両親、兄弟が介在するところから、人に対する自身の考え方を持つことなくいきなり10歳も20歳も年上の人たちが話しているところから吸収した、というより、その中から自分に気に入った言葉を記憶して無意識に利用してやろう=これすなわち学習でありますが、という積極的な気持ちのなせる業であろうと思うんです。

したがってそばにいる年上の人、あえて大人とは言いません、にはこまっちゃくれて聞こえたり、乱暴に聞こえたりするわけです。

で、殺人犯人のどこにあるのか?子供のころの環境でしょうね。親には申し訳ありませんが『良い子』でいることに何よりも価値を認めていたのでしょう。ただし、良い子でいてもほめることはしなかった。それがあたり前であるような顔をして接していたのでしょう。多分感情の交流がなかったのではと考えてしまいます。子供にとって、これほどつらいことはない。何をしてもわけがわからず、とりあえず良い子にしていれば黙っている親がいる。

だから感情がどっかに仕舞いこまれて顔を出さないままに、秋葉原へ突っ込んだ。さびしいやぁね、ホント!

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